勉強でも生活面でも、何かしら自分でできる子どもにしたいと思うのは親の希望である。
それは大人になってからは自分でやらないといけないという事を、大人は知っており、
それを子供に伝えておかないといけないと我が子が困ると思っているからだ。
確かにそうだ。
しかし、あまり教えすぎると「学習」と能力がマヒするように思うのだ。
間違えたらすぐに「そうじゃないでしょ!」とブレーキをかけたり
「また、同じミスして!」と言いながら消しゴムで子供の解答を消したりは
ないだろうか?
これはその子にとっていいことではないと僕は思うのだ。
子どもがミスする時は結構その予兆がある。
算数や数学を解いている生徒で気が付いたことは
「●●はこれでよかったかな?」とちょっとだが自信なさげに質問したり
「あら?」という表情が出たり、でもそのまま解いてやっぱり誤答したり
といったことが良くある。
子どもは間違いにどこかで気が付いているようだ。そんな時は無意識に
違和感を覚えていることがあるのだ。
まさに繊細な彼らの感覚が警告を発しているのだと考えている。
だから、こちらが子どもの答案を見てミスが分かったときは
「この問題の中で、自分があれ?と思ったり、解くリズムがおかしくなった問題はないか?」
と聞く。
すると、始めは「え!?」という顔をするが、解いていた自分を思い出して見事にミスを発見する。
この微妙な問題を解くときの「感覚の乱れ」が自らつかめるとケアレスミスが少なくなる。
ちなみに、これは子供だけではなく大人でも言える。
自動車を運転していて、車の流れが悪くなったと感じたら
実は「ネズミ捕り」をしていたとか、
ゴミ箱に投げた紙屑がその瞬間、入ると確信したりなど
ようは経験則かもしれないが、それをとやかく人から言われるといやになる。
子どもも同じだ。
彼らの「感覚」をくすぐるように大人は導いてやろう。